ものだねっと

■作業とゲームと現実の板挟み。 ■FGO:ネロちゃまは万病に効くどころの話じゃなかった。

なぜドラコーの目は赤いのか(ドラコーはネロオルタか?)

どうも、ものだねです。
久しぶりにドラコーの解釈の話を出します。
発端はドラコーはネロオルタなのか?という話ですが、
ぼくはオルタではないと思っています。

 

そもそも別側面であっても、クラスが異なれば表出する性質も変わるのがサーヴァントのややこしいところ。
剣ディルムッドと槍ディルムッドもそうですね。
神霊の別側面ならば、やはりパールヴァティー、カーリー、ドゥルガーを挙げたいところです。

 

オルタを否定するためには、まずオルタ化が何かを知る必要があります。
ミクトランで語られた異霊化によれば、
信念、矜持の否定ということになります。

 

これがミクトラン限定の話かと言えば、案外そうでもない節があります。

  • セイバーオルタ:非情さに徹しきった騎士王の側面。
    (王としての優しさの否定)
  • ジャンヌオルタ:聖女であるため本来ありえない側面。
    (救済の否定?)
  • クーフーリンオルタ:メイヴの願望によって変転した姿。
    (本来ある気持ちの良い性格や戦闘を楽しむ様子がない。)
  • アルジュナオルタ:人を捨て、地を捨て、神に成り、天へと果てた。
    アルジュナとして持っていたものを全て捨てた)

 

挙げたオルタ達もまた、何かしらを否定しているのです。

 

では、ドラコーはネロとしての何かを否定しているのでしょうか?
真っ先に思い浮かぶのは”愚かなる余”とする過去の自分の否定です。

しかしそれは、ペーパームーンでもあったようにアルターエゴの領分です。
ライダーの真名は蘭陵王オルタではなく高長恭です。

 

そもそも、ドラコーとネロの分岐点は兵士に看取られたか否かです。
ネロは兵士の優しさから自己を今のように…色々あったが人生は良いものであったと定義しました。
そこに信念や矜持の否定はありません。

 

 

さて、ここまででドラコーがネロオルタではないという根拠を挙げました。
しかし、タイトルにした目が赤い理由については触れていません。

 

こちらはあくまで推測です。
ただ、一理あるかもくらいに思ってもらえればいい程度の話です。

 

ドラコーがネロのifの姿であることは大前提として承知していると思います。
そしてオルタではないということも、先に述べた通りです。
ならば、ドラコーの類似例として見るべきは同じく別側面として在りながらifでもある槍アルトリアではないかと思います。

 

槍アルトリアの末路は女神ロンゴミニアド。
神聖円卓領域キャメロットで登場したアルトリアです。
従来のアルトリアと異なり、瞳が輝きを帯びています。
瞳だけが違うのです。

 

まあ女神ロンゴミニアドは神性由来で目の色が変わるという見方もできるのですが。
イシュタル、エレシュキガルみたいに。

 

今のところ瞳の色がなぜ"赤"なのか、までは説明できません。
色が異なる理由は女神ロンゴミニアドと似てるよね、で済むとは思います。
まあ、赤い瞳であればBBちゃんが思い浮かぶのですが、
直接に関連づけられる要素がありません。
一応BBちゃんもビーストⅥ関係者(というかスキル保持者)ではあるんですけどね。

 

そもそものBBちゃんの瞳の色がなぜ変わるのかが明言されていません。
AIとしてのバグが由来なのか、ビーストⅥ関係で赤くなっているのか。
それは現状ではわからないのです。

 

 

大雑把にまとめ。

  • ドラコーはネロオルタではない。
  • ifの末路という点で女神ロンゴミニアドと似ている。
  • 赤い瞳に変わる点ではBBちゃんもいるが、関連性を証明できない。

 

 

おまけ。

サムレム終章ネタバレ注意(クリックで開く)

サムレムで自己の再定義について触れられていましたね。
伝説でも伝承でもなく、確かに過去を生きていた、あるいは今を生きる"人"だけができること。

 

このシーンでは、特に矜持や信念を捨てるでもなく、
”セイバーの貫く善の方向性”が変わったのだと思います。

同じことがネロちゃまにも言えるのではないのでしょうか。
ネロちゃまの場合は”善”というよりは”愛”だと思いますが。

 

 

ノシ